
我が家の長女、いちごはADHDという発達障害があります。
全寮制に小学生を入学させるとなった時、周りの方はどんな反応をしましたか?
小学生のうちから寮なんて可哀想だ。
転校する必要がある場合、お友達と離れるのは可哀想だ。
全然普通だから、寮に入れる必要なんてない。
そのような反応はありませんでしたか?
ママ友からまさかの大反対!
いちごをそれまで通っていた小学校から全寮制に転校させるにあたり、仲の良かったママ友に報告すると、ほとんどのママ友は理解を示してくれましたが、中には反対する人もいました。
その人はいちごを幼い頃から知っている人。
いちごとの付き合いの長い彼女は「そこまで酷い障害ではない、そんなことをすべきではない」ということを、いちごの為を思って私に訴えかけてきたのです。
また、私たちの家庭環境が複雑であったことも彼女がそう主張する要因の一つでもありました。
このことは後で詳しく書きますね。
いちごは一見、ちょっと抜けてて忘れ物が多いけれど普通の子です。
友達も多く、外で遊ぶのが大好きです。
彼女の抱える問題の深刻さは、おそらくしばらく一緒に暮らさないとわからないと思います。
他人の気持ちを思いやれず、常に自分中心。
自分のやりたいことしかやらない。
怒られても反省していない、自分が悪いとすら思わない。
ADHDとしての物忘れやうっかりミスなどの症状より、そういったパーソナリティの方が問題だと私は思っていますが、そういう部分は他所の人はわからないのです。
それだけ問題があるのに何故友達が多いのか?
なぜならそれはいちごがそのような部分を見せないようにしているからでもあるし、問題が露見するほどの致命的なイベントが、他人の前では起きていないから。
また、いちごが外では上手く他人に合わせているので気付けないのは当然のこと。
反対したママ友のお子さんも、いちごと同じ不注意タイプのADHDでした。
そのためママ友はADHDについてありとあらゆることをネット検索し、知識があると自負していたようです。
例えば私が、いちごが怒られてもどこ吹く風で全く響いていないと訴えたとします。
しかし同じADHDのお子さんを持ち、発達障害の知識がある彼女は、ADHDは反省していないように見えて実は反省している、うちの子だってそうだと言って聞きません。
確かに、ADHDのお子さんは叱られた時など、歌を歌ったりして負の感情をやり過ごそうとしたり紛らわせたりするため、はたから見ると反省していないように見えることがあります。
インターネットでADHDが叱られた時の反応を調べてみると、そのような記述を見つけることができるでしょう。
私も最初はそうだと思っていました、内面では落ち込んでいるに違いない、反省しているに違いない。
でもずっと違和感がありました。
だって本当に反省していないんです。
嘘でしょ?そんな人がいるわけないと思いました、でもそうなんです。
ママ友は、自分の子どもとの出来事、経験、ネットに書いてあるADHDの注意点などから、反省しているに違いないと言います。
いくら私が、こんなこともあった、あんなこともあった、おかしいと言っても、ママ友は彼女なりの知識といちごの気持ちを深読みしたり自己解釈したりして、私がおかしいと感じる主張に向き合ってくれませんでした。
ママ友からの衝撃の一言
私がいちごを寮に入れるとママ友に伝えた時の彼女からの第一声は、
「残念です、あなたにはがっかりしました」
でした。
みなさんは、人に対してがっかりする時ってどんな時ですか?
例えば芸能人に不倫など不祥事があった時、がっかりしたというコメントが多い気がします。
大概、期待外れだった時、この人はこんなことをするタイプだとは思わなかったのに、当てが外れた時ですよね。
ママ友ががっかりしたと言ったのは、あれほどいちごは転校の必要などないと訴えたのに、結果的に私が言うことを聞かなかったからでしょう。
いちごは心に傷を負っていて、そんないちごを寮に入れたら傷が余計に酷くなる、それが彼女の言い分でした。
ここで、彼女の言う傷とは何なのか、の話をしなければなりません。
彼女とは10年近くの付き合いなので、離婚するにあたって私といちごの身に起きたことを全て知っています。
母親から無理やり引き離されて、父親の不倫に巻き込まれたことがトラウマになり、精神的な不安定さがADHDのような症状となって表れているのではないか、これが彼女の憶測でした。
とてもショッキングな出来事があると、一時的に感情が麻痺したり、物忘れが酷くなったり、考えがまとまらなくなったりすることがありますよね。
ショッキングな出来事とは人により異なりますが、災害や身近な人が亡くなること、事故など、とても精神的なストレスになる出来事のことだ思ってください。
彼女はその状態で寮に入れたら、いちごはきっと余計に心の傷を負うことになると言っていたのです。
ここまで言われると、私はママ友のいうことの方が正しいのか?という気持ちになってきました。
確かに父親の不倫に巻き込まれた一連の騒動は、トラウマになってもおかしくないほどの出来事ですし、その点は我々夫婦も懸念していたことだからです。
(詳しくは子の連れ去りをご覧下さい)
けれどその事件からは数年経っているし、いちごがADHDだとするならば生まれつきのはずで、トラウマによって引き起こされた症状というよりは、成長に伴って定型発達と乖離してきた部分が露見してきた、という方が的確な気がしました。
ADHDの診断が下りているし投薬もしています。
それに私たちは焦っていました。
もうじき中学生になれば、反抗期に入り大人の言うことに耳を貸さなくなる。
その前に1日でも早く寮に入れて、改善させなければならないと。
いちごが今のままで大人になってしまうことは絶対に阻止しなければならず、それが第一でした。
先生からの、まさかの指摘
そんなわけでママ友の大反対を押し切って入学させた学校でしたが、入学して暫くしたのち先生から思わぬ指摘を受けました。
「いちごさん、私の見立てではASDの傾向もあるんじゃないかと思います」
先生は、あくまで私が思っているだけなので、と前置きした上で伝えてくれました。
まさかのまさかです。
特にこだわりもないし、それはない。
でもふと気付きました。
自分の考えややり方に固執するところはある。
さらに、反省しない、人の気持ちを考えず自分優先、他人の感情に無頓着など、折に触れ感じていた違和感全て、ASDだと仮定すると辻褄が合うことに。
そして極め付けは、ADHDの診断を受けた時にすでにASD傾向も強く出ていたことです。
正直かなりショックでした。
ああ、そういうことか、これは次回お薬を貰いに病院に行く時に医師に相談しなければ、、とぼんやりした頭で考える一方で、私たち家族が感じていた違和感は、間違っていなかったのだとも思いました。
あの時ママ友の言葉を鵜呑みにして転校を取りやめていなくてよかったと、心から思いました。
ママ友が親切心から言ってくれたことは理解しています。
ママ友がもし精神科医や心理士などの資格を有していたら、私は耳を傾けました。
でもそうではなく、育児経験やネットの記事ばかりを情報源とした自らの主観のみで、他人の家庭の重大な決定事項を否定したり止めに入るなど、度を超えた干渉は大変失礼な行為であると私は思います。
自分のご家庭のことだけ考えていればいいんです。
発達障害児を育てていると、子どものためにあれこれ調べるあまり、あたかもその障害について詳しく知ったような気になります、これは私にも言えることです。
けれど障害の度合いは人それぞれだし、別の発達障害も併発していることもあります。
うちの子で言えばADHDにおそらくASD、LDもあると思っています。
それらを診断するのは医師の役割で、決して個人でするべきことではありません。
また、本質はネットの発達障害関連の記事には書かれていません。
知った気になってしまうのはとても危険なことです(これは本当に、自分にも言えることです)。
このブログを読んでくださる方、お子さんの発達障害で、寮に入れようかどうしようか悩んでいる親御さんが多いと思います。
寮に入れると話したら、周りの人、祖父母から反対された、なんてこともあるかもしれません。
そんな必要ないよ、それほどではないよ、大丈夫だよ。
言うまでもないことですが、養育すべき責任がない方々なら何とでも言えます。
我々には子どもを育てる責任があります。
そのためにあなたが必要だと思うのであれば、何が一番大切なのかをよく考えて、周りの声に惑わされないてほしいと思います。