きょうだい児とは?
この言葉が世に出始めてどのくらい経ったのでしょうか。
少なくとも私が子どもの頃にはこのような言葉は知らなかったし、きょうだい児への支援があることさえ知りませんでした。
きょうだい児とは、病気や障害のある兄弟姉妹がいる人たちのことを指します。
なぜ今回きょうだい児のお話をするかというと、このブログを読んでくださっている方たちは我が子の発達にお悩みの親御さんが多いのかなと思いますが、もしその子に兄弟姉妹がいる場合、きょうだい児として様々な問題を抱える可能性があるからなんです。
実は私には障害のある兄弟姉妹がおりますので、私はきょうだい児ということになります。
私の下の娘も、上の娘が障害があるのできょうだい児ということになります。
私の体験談
私のきょうだいは発達障害と知的障害があります。
小学校は普通学級に、中学からは支援学級に通っていました。
私ときょうだいはそれほど歳が離れていなかったため、小中学とも違う学年ではあるものの同じ学校に通っていました。
小中学の頃はきょうだいが問題を起こしてばかりだったこともあり、両親、とくに母はきょうだいにかかりきりで、私がきょうだいと例えばケンカになった時、明らかに相手が悪い時でも、あの子は障害があるから仕方がないと私に我慢や許すことを求めました。
今でこそ私にも少しは障害の特性などがわかるようになりましたが、当時は幼さもあり障害を正しく理解することができず、なぜいつも自分ばかりが我慢を強いられるのかと考えると理不尽にしか思えなかったし、きょうだいばかりを優先されているように感じ、私は愛されていないのではないかと僻むこともありました。
先にも書いた通り私ときょうだいは同じ学校に通っており、そのことは同級生のほとんどが知っていました。
きょうだいが問題を起こすたびに、私まで好奇の目に晒され、同級生の中には、あからさまにきょうだいのことを馬鹿にした言葉を私に投げかける子もいました。
障害のある兄弟姉妹を可愛いと思ったり、守らなければならない存在だと思っているきょうだい児の方もおられると思いますが、そのような方と私は真逆の存在だと思います。
はっきり言って疎ましいとしか思えませんでした。
周りは普通の兄弟姉妹を持つ方ばかりで、なんでうちだけがこんなに苦労しなければならないんだ、と思うことばかりでした。
実際にはどの家庭にも悩みや問題があるのでしょうが、当時はよその家庭がみんな幸せそうに見えて、羨ましかったのを覚えています。
学校では問題ばかり、家では癇癪ばかり起こして毎日のように母と言い争いをしていましたから、私にとって家は休まる場所ではありませんでした。
なるべくきょうだいの地雷を踏まないよう注意深く観察して過ごすことが、私にとっての当たり前の日常でした。
高校からはきょうだいと離れることができ、きょうだいのことを誰も知る人がいない環境は私にとって初めてで、私はやっとささやかな開放感を手に入れた気持ちになりました。
友人と兄弟姉妹の話題になっても、私はひとりっ子ということにしていましたし、そのことにだれも疑いを持ちません。
しかし学校ではひとりっ子ということにしていても、相変わらず家に帰れば荒れたきょうだいが待っています。
今思えば歳が近いこともあり、きょうだいも同じ時期に思春期だったのだと思います。
加えて障害があることで同級生から揶揄われたり、いじめもあったでしょう。
そういう鬱憤が家族に向かっていたのかなと思います。
その後きょうだいは社会人として働き始めましたが、いくらもたたないうちに人間関係のトラブルから家に引きこもるようになってしまったのです。
しかし皮肉なことですが、そうして社会と関わるのをやめてしまったことにより、きょうだいは精神的に安定していき、癇癪は目に見えて減っていきました。
ヤングケアラーになる可能性
引きこもりといっても四六時中自室にいて出てこないというわけではなく、家族とは普通に話もするし、外出もしていました。
私のきょうだいは、自分の身の回りのことは自分でできるタイプでした。
1人で電車に乗ったり買い物に行くこともできるので、きょうだいがどこかに出かけるときに私が付き添わなければならないということはなかったです。
料理も掃除も洗濯もできます。
しかし障害の度合いが重ければ、きょうだいの面倒を日常から見ることになり、ヤングケアラーになる可能性もあります。
例えば先ほど述べた外出の付き添いの他に、トイレのお世話や着替え、食事介助、お風呂などがそれに当たります。
学業をしながら障害のある兄弟姉妹のお世話をするのがどれほど大変か、想像以上のものがあるに違いありません。
親亡き後、誰が面倒を見るのか?
当時の私の一番の心配事は、両親がいなくなった後、私がきょうだいの面倒を見なければならないのだろうか、ということでした。
いくら身の回りのことができるといっても、障害があることに変わりはありません。
私の体感では、知的レベルは小学校中〜高学年で止まっているような感じです。
小学生が1人で生活していけるかと問われたら、答えはノーでしょう。
法的なことで言えば兄弟姉妹は扶養義務があるので、私が面倒を見なければなりません。
きょうだいは仕事をしていないので、特に金銭面には不安がありました。
しかしその話題になると決まって両親は、
「お金は残しておくから大丈夫」
「身の回りのことは自分でできるから、行政などの手続きだけしてくれればいい」
「いざとなったら施設に入れなさい」
と言いました。
けれど人一人が暮らすのにどれだけのお金がかかるのか当時の私は知らなかったので、資金があるというのなら信じる他なく、お金の心配をしなくて良いといっても本当に足りるのか、という疑問がありました。
そしてもう一つの疑問は施設というのはそんなに簡単に入れるのか?という点ですが、役所にいけばなんとかしてくれるだろうというのが母の考えでした。
その後私は家を出てしまったので、その話をする機会はしばらくなくなってしまいました。
もちろん、しようと思えばいくらでも話題に出すことはできました。
あえてしなかった、という言い方の方が正しいのです。
働くことをやめて社会との繋がりを断ってしまった障害のあるきょうだい、その今後のことを考えると鉛のように気持ちが重くなってしまうので、考えたくなかったのです。
だから私にとっては悩みの種ではあるものの、真剣に考えるのを先延ばしにしてしまいました。
時折母が、自分たちが亡き後のきょうだいの暮らしを考え、築古の自宅を処分してマンションを借りた方がいいのかなどと相談を持ちかけてくることはありましたが、長年住んでいる愛着もあるだろうし、最終的な決断までは至っていないようでした。
しかし両親も高齢になってきたため、いよいよきょうだいの身の振り方を真剣に考えなければならない時がやってきたのです。
両親はどう考えているのか
ある時、数年ぶりに母と二人きりで話をする機会ができたため、きょうだいについて少し突っ込んだ質問をしてみました。
いつもは他の人もいたりして、二人きりという場面はなかなかなかったのです。
質問は主に以下の3つについてでした。
① きょうだいの今後についてどう考えているのか?
②自宅は処分するのか?
②施設は具体的に目処はついているのか?
数年前に自宅をどうするかという話も出ていたことから、何かしら進展があったのではないかと期待しながら話を切り出しました。
しかし直後から、だんだんと母の様子がおかしくなっていったのです。
それまで饒舌に話をしていたのに急に口が重くなり、話の論点をずらし、落ち着きがなくなり、どんどん元気がなくなり、ついには完全に沈黙してしまいました。
元気なく項垂れる様子を見て、私は母の弱さに初めて触れた気がしました。
母はあまり弱音を吐かない人でしたので、このような姿はみたことがありませんでした。
きょうだいのことで心無い言葉を言われたり、嫌な目にはたくさんあってきたはずですが、常に毅然としていましたから。
この時初めて私がまだ実家を出る前の数十年前から、何もきょうだいの処遇について進展していないのだと悟り、同時にそれを考えることを放棄するほど母が弱かったのだと知って愕然としました。
母はきょうだいをとても可愛がっていましたから、自分たちがいなくなった後の生活は心配であるのと同時に、どうするのが最善であるかという答えをずっと出せなかったのだと思います。
しかし、そうもいっていられないのが問題です。
仮にきょうだいが一人暮らしをしたとして、一年でどれくらいの出費になるのか?
平均寿命と照らし合わせてあと何年生きると仮定し、果たして資産で足りるのかどうかなどの計算を全くしていないのでは、今後の生活設計が立てられません。
そもそも私は資産がいくらあるのかすら知らされていませんから、それで心配はないと言われても到底信じられるものではありません。
施設の見学すらしていないところを見ると、役所に相談にも行っていないのだと思います。
母の望む理想の未来とは
おそらく母の理想としては、実家にはそのままきょうだいに暮らしてもらい、私には実家近くに住んでサポートをして欲しいのだと、話していて感じました。
しかし築古の実家は一人で住むには広すぎて管理が大変ですし、建て替えが必要になるでしょう。さ
そして建て替えには莫大なお金がかかることを忘れてはいけません。
次に私は実家からかなり離れた場所におり、実家近くに住むことは考えていません。
それに、私には障害者が一人暮らしをするにあたって、様々な危険や注意すべきことがたくさんあると思うので、現時点で一人暮らしができる能力があったとしても、実際には難しいのではないかと思うのです。
どうするのが最善なのか
私は、あまり賛成ではありませんが、きょうだいが一人暮らしができるというのであれば、実際にやらせてみればいいと思うのです。
そうすれば、ひと月どのくらいの金額になるのか目処がつきますし、完全に一人になった時にどうなのか、ということがわかります。
もしくは、両親が生きているうちに施設に入れることです。
両親が亡くなってから突然環境が変わってしまうと、きょうだいに負担になるのではないかと思うからです。
今のうちから環境に慣れておいた方が、後々ダメージが少ないのではないかと考えています。
きょうだいの処遇についてどうするのが最も良いのかは各家庭により違うと思います。
ですが、きょうだい児に全て丸投げするのは、私は違うと思うんですよね。
面倒を見ることを厭わないのであれば、それは素晴らしいことでもありますし、親御さんにとっては心強いことでしょう。
しかし、後を任されたきょうだい児にも、面倒を見られなくなる事情が今後出てくるかもしれません。
事故に遭ったり、病気になったり、家族との兼ね合いだたり。
私の両親は、自分たちが亡くなった後は私にきょうだいのサポートをして欲しいのだと思うのですが、残念ながら私の方がきょうだいより先に死んでしまうこともあるかもしれません。
その時に一番困るのは誰なのか、よくよく考えなければなりません。
今回は私の体験談を書いてみましたが、きょうだい児はそれぞれ皆、人には言えないような大変な思いをたくさんしてきたことだと思います。
今でこそ声を上げられる世の中になってきましたが、私が最も辛かった時代はそのような風潮すらありませんでした。
きょうだい児、障害児、それぞれ悩みは尽きませんが、互いに最も良い方法を模索しながら共存していけたらなと思います。
長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。